2005年10月31日

10月31日は蒋介石誕生日でもあり、なにかあるかもしれないと
まずは最初に中正祈念堂を目指す。
中正祈念堂への途中、ちょっと遠回りして北門のそばを通る。


北門(唯一復元でない門)(9:18)


横の窓のようなものは、城壁からの入り口があったところ


アーチ型の石組み








高架道路がすぐ側を通る。


近くにはカメラ街、コニカミノルタの風船



北門の周りには、鉄路局や台北中央郵便局など、歴史を感じさせる建物があった。

鉄路局



鉄路局



台北中央郵便局



中正祈念堂(10:00)


巨大な中正紀念堂の正門。(高さ30m)



平日の朝で、人は少なめであったが、
イベントのテントや仮設ステージのためにちょっと見通しが悪かった。



「大中至正」は何事も中庸が大切ということらしい。



向かって左手の国家音楽院。



右手の国家戯劇院。国家音楽院とは屋根の形が違う



中正紀念堂。(高さ70m)



中正紀念堂の額



中正紀念堂内の蒋介石のブロンズ像(6.3m)



中正紀念堂内の天井



紀念堂からの正門方向











微動だにしない衛兵(青の制服の空軍)



衛兵の交代



















下階の文物展示室にある蒋介石記念室



正門から新光摩天展望台が見えた。




中正紀念堂の白色


基台の部分で塗料が剥げて下地が見えていた。
上部は岩の細工も綺麗なのに基台の部分の模様がぼやけているのが
不思議だったが、塗料によるものかもしれない。



基台手すりの下の部分



正門も同様か?
完成時から白色だったのか?白でなくてもいいように思うのだけど






紀念堂脇にあった石碑「友好の桜」(中央大学:海部俊樹書)
碑はあるけど桜はどこにあるのかなと見ていると、
退役軍人会の老人がカメラを突き出して何か言っている。
シャッターを押して欲しいのだと思うけど何を言っているのか分からない。
とりあえず「イー、アール、サン(1,2,3)」と言って写真を撮る。
そして「我是日本人」
そこで日本人と分かってもらえた。
その後英語で、勉強に来たのかと聞かれたので。観光だと答える。
退役軍人で、蒋介石を称えるのだから、日本と戦い大陸から移ってきた外省人だろう
台湾で日本語を話せる人(本省人)は多いのだけど
そういう人は日本語ではないんだなと思った。(日本語を期待するわけではないが)

「我是日本人」(私は日本人です。)は
中国語のテキストで最初のほうに出てきた例文
自己紹介にしても、訪ねていった時には日本人であることは知っているだろうし
知らない人に名乗ることもないだろうから、使うことはないと思っていた。
日本で外人に出会って、「私は中国人です。」なんて言われる場面はあまり想像できない。
なのだけど、今回台湾で何回もこれを言うことになる。(笑)


その後、南門付近で道を聞かれ「我是日本人」
迪化街の祖師廟で話しかけられ「我是日本人」
こんなに使うことにるとは・・・


最終日、空港へ向かうバスで発車を待っていると、西洋系の女性に手助けを頼まれる。
連れられてバスを降りると車椅子の男性がいた。
足を持って欲しいと言われ、二人で座席まで運び上げる。
空港について降りる時も手伝うことになり(他の人は誰も手をださない)
今度は体を支えて降りる。
車椅子の男性は、手を合わせて小さな声で「謝謝」と言った。
台湾でアジア系の人にに感謝するなら「謝謝」かな(笑)
とりあえず日本語的な発音で「アイムジャパニーズ」とだけ言ったんのだか、
分かったかな?



中正祈念堂のそばには、復元された南門、東門がある。

南門(復元)










東門(復元)














次に総統府へ向かう。

総統府の前で写真を写真をとる老婦人。稲荷屋が「撮りましょうか」と言うと大喜び。
撮ってもらえるならこっちの方がいいと引っ張りまわされりと
ちょっとわがままだったけど喜んでもらえた。
総統府の中は見学しましたかと聞くと、日本語ボランティアの人が親切で
9時に入ったのに今ままでかかったとのこと、既に11時近い・・・

総統府


総統府(作成中)




次に月曜日でも開いている国軍歴史文物館を目指す。


国軍歴史文物館(入場無料)
抗日や中共との戦いが展示されている。
抗日の中には南京大虐殺の展示もあり「30万人」の記述や
軍刀で正座させた中国人に切りかかろうとする写真を等身大に
拡大し写真の軍刀に接収した軍刀を重ねあわせたパネルなどがあった。
(南京の人口が20万だったらしいし、件の写真も刀を持つ手と足の位置が
ちぐはぐで日本人ではないとの意見がある写真なのだが)
まぁ国民軍の中国という場所が場所だけに仕方がないのかもしれない。

それよりも、戦利品と加筆された「武運長久と寄せ書きされた日章旗」や
慰問袋、千人針等、宛名が書かれ個人が特定できる遺品の展示には
その持ち主のことを思うと心穏やかには見ることができなかった。



台湾最高法院(国軍歴史文物館そば)



台北で一番の歴史を持つ龍山寺


龍山寺外観(中国らしい派手派手系)



前殿(三川殿)向かって右側(画面外)に入り口(龍から入って虎から出る?らしい)



前殿の柱の龍(左)銅製の柱は珍しいらしい



前殿の柱の龍(右)
前殿には本殿に向かいお経を読む人、占いをする人、お供えをする人
多くの熱心な信者があふれていた。
お経は阿弥陀経や法華経普門品



前殿の額



前殿の額



前殿から本殿



本殿(観世音菩薩)
本殿前に設置された2つの香炉の柱のデザインがシルクハット風で変な形。
帰国後調べてみると、かつて台湾がオランダに占領された歴史を忘れないために、
オランダ人を象徴しているとか。



前殿(内側)の石柱。
日本の木彫りや漆喰とは違い材質の硬い石でここまで細かな彫刻がされるとは見事



後殿(「媽祖娘娘」「月下老人」等知らない仏様達。道教系?)



修理で外された木製の部材?








祖師廟

地元の人に中撮っても大丈夫だよと身振りで案内されるが
内部でフラッシュはちょっと遠慮してしまうし。
祭壇に向けては、レンズは向けにくかった。














右側に鐘
内部は足場を組んであり、(調査員?学生?)天井などの写真を撮っていた。


左側に太鼓



神輿?(同様の物は龍山寺にもあったが、お祭りの時に使われるのか?)




古い街並みの迪化街

古い町並みの好きな稲荷屋としては、道を歩くだけで大満足。
漢方薬や乾物などいろいろなお店が並ぶが、ハエとか見るとちょっと手が出ない。


迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街



迪化街


建物


司法院(総統府となり)



TTL(台湾たばこ酒有限公司)



外交部



台北賓館



台湾最高法院



北門近くで網のかけられた建物があった。建物を覆う屋根もあり保存されているよう。



崩れかけているが、そのおかげで構造が良く分かる。
後見えても骨組みは木造なんだ。



どうやら保存しようとしてるらしい。中華民国92年は西暦2003年



その他いろいろ


寧夏路夜市



ニコマートって昔のニコンのカメラみたいと思ったのだが
ニコンはnikomatだった。ちょっと勘違い



総統府前の蒋介石の誕生を祝うゲート



よく見るとゲートの足は車道をつぶして建っていた。



北門前の横断歩道。
歩車道境界ブロックが低くなっていないためまたいで通らないといけない。
ちょっと気になった。



北門前の横断歩道。
歩車道境界ブロックが低くなっていないためまたいで通らないといけない。
ちょっと気になった。



行書体の標識。中国っぽい